ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第五十一話「一ドニエの約束」




 危険な任務に、安全第一という矛盾した要素。
 深夜にラ・ロシェールを出航した『ドラゴン・デュ・テーレ』は、一度針路を北北東にとって航路を外れてから大角度で変針、夜の内に大陸の影へと身を潜めた。
 大陸の下は雲がたれ込めて視界も悪く、下手に高度を上げればより暗くなる上、突き出た岩にでも接触すれば座礁しかねない。艦長らは海図と睨み合い、フネは速度を落として慎重に進んでいる様子だが、リシャールの方でも自分こそお荷物、邪魔をするよりここは玄人に任せた方がいいだろう、全て任せたとばかりに、相変わらず厨房で配食の準備を続けていた。
 ラ・ロシェール出航の翌日、艦長によるニューカッスル行きの発表と国王同乗の内示はあったが、同時に、本航海に於ける諸君らの忠勤精励見事なり、これまで通りであられたしと当の国王陛下より勅があり、艦内は微妙な空気こそ漂っていたが平穏を取り戻している。
 老士官たちは世慣れたもので、リシャールの意をくみ取ったのか、茶杯を注文される回数は目立って増えてきていた。いつも通りと、態度で部下達に示しているらしい。
 同乗をばらしてしまったので、時には司令室に茶を届けに行ったついでに雑談を交わすこともある。
「到着は明日か明後日、というところですな」
「敵に出会わないなら、時間は掛かってもそれが正解だと思いますよ。
 艦長が七割と口にした意味は、十分理解できました」
 足こそ遅くなったが、この調子で敵と出会わぬならば目的の半分は達せられたと言っていい。預かった海図様々である。
 レコン・キスタは当然ながらニューカッスルの包囲を狭めている筈だが、数日ならば目を瞑ってもいいだろうと思われた。

 その後の一日は陽光もほぼ見えず、断崖の影に寄り添いながら薄暗い中を『ドラゴン・デュ・テーレ』は進み続けた。
 だが同時に、航路迂回の努力も正しく報われた。
 そろそろですとリシャールも呼ばれ着替えてから甲板に上がったが、完全な暗闇の中、マストの頂部や前檣楼の先には士官が立ち、杖先に魔法の明かりを掲げている。
「行き足つけるな! すぐに右回頭するぞ」
「一番帆、右にひとーつ!」
「正面二時方向、明かり見えます!」
 通常の航路を直行すれば一日半とかからぬ行程に五日ほど掛け、『ドラゴン・デュ・テーレ』はついにニューカッスルの秘密港と思しき場所に到達した。
 海図の写しを確かめて、艦長は頷いて見せた。
「間違いありませんな」
「あれですか……」
 暗がりの中にぼんやりと見えた明かりに、いよいよかと拳を握る。
「はい。
 ……おい、手前側が細くなっているから一旦高度を落とすぞ。
 機関、二つ下げ!
 ……よーし、機関もどーせー。
 明かりの直下で停止せよ」
「微速前進!」
 すっと高度が落ちたが浮遊感を感じるほどではなく、漏れてきた明かりに多少は周囲の岩も見えてくる。
「よし、裏帆打て」
「停止! 停止!」
「機関、一つ上げ。
 入港だ」
「了解!」
「入港準備にかかれ!」
 天然の地下港とでも言うべきか。
 見上げれば、直径三百メイルほどの大穴であることが分かる。
 鍾乳洞を利用しているのだろう、岩肌は照り返し、全体が光る何かで覆われていた。
 その中を、『ドラゴン・デュ・テーレ』はゆっくりと上昇していく。
 やれやれという様子で、ラ・ラメーはリシャールを振り返った。
「こりゃあごっつい眺めですな。中は随分と広い様子で」
「これだけ立派だと、秘密にもしたくなるでしょうねえ……」
 高度を上げると桟橋はなく、岸壁にはフリゲートらしいフネが一隻、青いアルビオン空軍旗を掲げて停泊していた。
 ビュシエール副長が首を傾げ、思案している。
「『イーグル』……ではないようですな。
 おそらくは『イプスウィッチ』でしょう」
 スカボローを脱出したフリゲートは二隻、そのうちの一隻は高速のアンフィオン級フリゲートで旗艦『イーグル』。こちらはリシャールにも見覚えがあるのだが、目の前のフリゲートはそれよりも小さい。そして旗艦と艦列を組んでいた『イプスウィッチ』以外は、フリゲートではなかったと聞いていた。
 ……まさか沈んだのだろうか?
「接岸!
 ビュシエール、あの隣につけろ」
 開いている岸壁に『ドラゴン・デュ・テーレ』が近づくと、既にアルビオンの水兵達が待ちかまえていた。よく見れば岸壁の下には台座が備えられ、風石機関を停止できるように配慮されている。
「陛下、上陸許可の一声をお願いします」
「……ああ、そうでした。
 ここまで来て隠すこともありませんね」
 繋がれたもやいが引かれて無事に接岸が終わると、手押しのタラップが近づいてきた。台座のお陰で機関は止められるが、岸壁と上甲板には少々高低差が出来る故の工夫だろう。
 若い士官がその足下で敬礼しているが、表情は明るい。
「ようこそ、ニューカッスルへ!」
 ふっと息を吐いてから、リシャールも答礼した。
「こちらはセルフィーユ王国空海軍旗艦『ドラゴン・デュ・テーレ』、国王リシャール以下総員百十二名、上陸の許可を願います!」
「は!?
 か、歓迎いたします! 陛下!」
 驚くなとは、言えなかった。

 フネを副長に任せたラ・ラメーと報告書類を携えたウォーレン海尉、世話係になっているジュリアンを従えて、下にも置かぬ様子で先導されつつリシャールは長い階段を上がった。
「ウェールズ殿下は現在、『イーグル』にて出撃しておられます」
「出撃!?」
「はい、航路の混乱を狙い、少しでも貴族派の力を削ぐのだと仰ってお出になられました。
 今日明日にはご帰還の予定であります」
 入れ違いにはなってしまったが、ウェールズの無事が確認できたことに肩の力を抜く。
 悲壮感は既に吹っ切ってしまったのか、あるいは自棄になるには十分な状況であるのか、将兵の士気は高い様子で誰かとすれ違うたびに笑顔の敬礼を受け取る。
 ……かつて諸国会議の一席を温めたほどの大きな国が、半年余りでたった一城に押し込められるほどの勢力に成り下がったのだ。それも仕方のないことかも知れない。
「こちらです」
 壁が鍾乳石から石組みに変わってしばらく、窓から漏れる光に地上へ出たことを知る。庭は荒れてもおらず、まだこの城そのものは戦果をくぐっていない様子だった。
「良い庭園ですね」
「はい、千年の昔より、専属の庭師一族が管理してきたと聞きます」
 窓越しに中庭を眺めつつもう一層階段を上がった先では若い騎士が待ち受けており、敬礼とともに扉を開けた。
 呼び出しもなにもないが、その余裕がなくとも不思議ではない状況であることは知っている。
 室内には緞帳も飾り物もなかったが、それでも謁見の間らしさが僅かに調えられ、十数名の貴族が膝を着いていた。その一番奥、玉座に腰掛けるジェームズ王が小さく頷いたので、リシャールは軽く会釈をしてから歩みを進め、三人を従えて跪いた。
「ようこそ、我がアルビオンへ。
 ……再びのお見えとは、リシャール王は人を驚かせるのが上手であられるな」
 面を上げてジェームズ王が愉快そうに笑むのを確かめてから、膝を着いたままわざと情けない顔を作りもう一度頭を下げる。
「お恥ずかしながら、ジェームズ陛下に怒られに参りました」
「ほう?」
「あれだけ世話になっておきながら国元の忙しさにかまけ、陛下への新年のご挨拶がまだであったのをつい先日思い出したのです」
「ふむ……。
 セルフィーユは去年建国したばかり、リシャール王はあちらこちらに忙しく飛び回っておられると聞く。
 我が国もその一因となっておるようじゃし、こちらこそ世話を掛けた詫びに伺わねばならんところなのだが……こちらも昨今、国元が忙しくての」
 くっくっくとしゃがれた笑い声が聞こえ、リシャールも笑顔で応じた。どうやら正解らしいと胸を撫で下ろす。
「ラ・ラメー卿、お主も忙しいかのう?」
「老いてなおフネに乗れるどころか、艦長として任務まで頂戴できるのです。
 小官は幸せ者であります」
 続けてラ・ラメーが挨拶を交わし、ウォーレン海尉が奏上を行ってセルフィーユに到着した四隻のことが知らされた。
「ふむ。
 海尉もご苦労であった。
 生き残った将兵達には更なる苦労を掛けるが、朕の『最期』の言葉として皆にも宜しく伝えて貰いたい」
 明るくはあったが、老王も死者と勇者を茶化すようなことはせぬと心に決めているらしい。
 それこそが敗者たる者が持つ末期の矜持か否かは、リシャールにもわからなかった。

「この庭は朕も気に入っておっての」
 挨拶を終えて実務をラ・ラメーに一任すると、リシャールは茶でもどうじゃなと誘われるままジェームズ王に従い、庭の東屋に出た。
「先ほども窓越しに見せていただきましたが、知らぬ植物が多うございました」
「うむ、この空中大陸でしか育たぬものを集めてあるのじゃ。
 高度だけならばガリアの火竜山脈も負けてはおらぬじゃろうが、あちらは火を吹く山の連なり、随分様相が異なると耳にする」
 中庭は少し肌寒かったが、東屋には魔法の仕掛けが施してあるのか、風は感じるのに過ごしやすい温度が保たれている。
 パリーと名乗った老執事が茶を運び入れ、中庭は再び静かになった。
「さて……リシャール王よ」
「はい」
「ただ遊びに来てくれる分には朕も嬉しいのだが、流石にこの時期この場所を訪れるのは酔狂が過ぎよう。
 御身も国を背負う身であろうに、一体全体何をしに参られた?」
 訝しげにも、面白そうにも見える表情の老王に、相変わらずの様子を見て取ってリシャールも居住まいを正す。
「さて、正にそれをお伺いできれば、と。
 色々考えては見たのですが、手詰まりが変わらぬならば、レコン・キスタへの嫌がらせも無意味な自己満足に近いような気がしております。
 歩みを止める気はなくとも、このままでは憚りながら……」
「ふむ……」
「レコン・キスタが一番嫌がりそうなことは一体何かなと常に考えていますが、セルフィーユどころかトリステインにも背負えそうにない事ばかり思いつく自分が嫌になります」
 それこそ首班オリバー・クロムウェルの謀殺から、トリステインと示し合わせた上でレコン・キスタに扮した『ドラゴン・デュ・テーレ』にラ・ロシェールを襲わせるような茶番まで、後先考えぬろくでもない策謀なら幾らでも思いつけるのだが、これらは夢物語にも等しい。第一セルフィーユにそのような力はなく、行った後に隠し通す力もなかった。
「手近なところであれば……ふむ、朕やリシャール王でなくともすぐに思いつこうが、テューダー家が生き残り続けること、これがもっとも迷惑であろうな。
 ……まあ、この城は半年どころかひと月保つかも怪しい上に、トリステインへの亡命など彼の国の予定を狂わせるばかりで一ドニエの得にもならぬが」
「はい……」
「ウェールズはな……」
 ふうと息を吐いた老王は、静かに笑みを浮かべた。
「ゲルマニア皇帝は始祖の血筋を欲していたはず、自分を売り払えとまで言いおったわ。
 ……戦後ゲルマニア一国の傀儡となるよりは、トリステインを含めた三国に分割される方がまだよかろうと押しとどめたが、ガリア王にも適齢期の娘がおったはず。
 互いに牽制するならばまだいいがそれは望み薄、両者で手打ちにされて結果が変わらぬのなら売り損じゃ」
「……一国の傀儡となるより、三国に分断される方がましなのですか?」
「統一された一国の意思は、強固で御しにくかろう。
 三国で綱引きをさせた方が、綻びは見つけやすいものよ」
 テューダー家直系の血が残るだけそちらの方がましな気もしたが、次代の王……おそらくはアンリエッタの子孫の誰かが受け継ぐことが既定路線なら、せめてもの埋伏になるとの考えだと読みとれた。
「トリステインはどうするでしょうね……」
「彼の国も……そうじゃな、ガリアはもとより始祖の血脈を有する国、同じ釣り上げるにしてもゲルマニアとは別の代価で補う必要があろう。
 ……故にアンリエッタ姫を差し出すなら、ゲルマニアか。
 付け入る隙があるならば、ゲルマニアに始祖の血を入れるのを良しとせぬ方向でガリアを焚き付けるのが良かろうが……。
 あの無能王、諸国会議での顛末と即位後速やかに国を鎮めた手練手管を照らし合わせるまでは誰も気付かなんだが、そのようなことに乗せられる人物ではないと見える。いや、興味を抱かぬと言った方がよいやも知れぬ。
 どちらにせよ、あちらこちらの思惑全てを手玉に取り、易々とハルケギニアに自らの思い描く未来図を再現しおっても不思議はなかろうよ」
 茶杯で喉を潤した老王は、今度は顎に手を当てて首を捻った。
「しかし、リシャール王にはちと悪いことをしてしもうたか……?」
「私ですか?」
「アルビオンを見捨ててガリアの庇護を引き出す方が余程今後のためとなろうに、その可能性を最初から握りつぶしてしまったの」
「その場合は……アンリエッタ姫から即座に見捨てられて、今頃は国が無くなっていたでしょうか?
 個人の友誼と国家間の友好が同列に語られるべきでないことは知っておりますが、高が知れているセルフィーユの国力などより余程信頼も出来て実利もあるかなと、最近は思えてきました」
「そうかのう?
 ……いや、それもまた一つの答えであるか」
 ガリアやゲルマニアのような『超大国』、あるいはトリステインやかつてのアルビオンほどの『大国』とは違い、元より力で対抗し得ぬ国際関係ならば、国を潤すにも傾けるにも、国王個人の私的な外交の影響力こそが『小国』には大きな要素となるかもしれない。
 パリー卿が呼ばれて茶杯が入れ替えられた後、ジェームズ王は誠に相済まぬがと切り出した。
「軍人以外の行き場無き者も、そちらにて預かって貰えぬか?
 朕の尽きたる命運へと共に従わせるには、ちと忍びぬのだ」
「はい、それはもちろん……」
 それでもだ、この状況下でも変わらずテューダー家に忠節を捧げてきた彼らが、幾ら王命でも素直に従うかどうか。命あっての物種とは言うが、逃げ出す機会も敵に下る機会もあったろうに、彼らは今もこの城にあって気炎を吐いているのだ。
「ついでにウェールズ殿下も連れていきたいところですが……」
「落ち延びた先がセルフィーユでは、トリステインに亡命するより酷いことになろうな。
 気持ちは嬉しいが、それこそ王がしてはならぬ決断の最たるものよ」
「ええ……」
 後ろ盾に足りぬどころか、ウェールズの『おまけ』にされるのが落ちだろうなと簡単に想像がつく。将来のアルビオン支配権に、わざわざ手土産を付け足す必要はなかった。
 だが、セルフィーユが預かるのでなければどうだろうかと、少し思案する。
 例えばガリアでもゲルマニアでもトリステインでもなく、もちろんロマリアでもない場所など、ありはしないだろうか。
 いや、テューダー家の存続を確定させつつ、レコン・キスタが手を出せない状況を作り上げる方法があれば、それでよいのかもしれない。
 しかしそんな手があるのなら、とうの昔に実行されていてもいいはずで……。
「あれ!?
 もしかして……」
「……?」
「うちが預かるのではなく、ウェールズ殿下ご自身に自らを預かって貰う手筈を調えるのは……悪くない?」
「なんとな……?」
 リシャールはジェームズ王に向き直って一礼した。片眉を上げて、老王はリシャールの言葉を待つ。
「陛下、失礼ながら、この城はひと月保たぬと伺いました……」
「言うたの」
「どの国が亡命先でも、ろくな結果にならぬとも仰いました」
「うむ」
「では……」
 無責任に過ぎるかも知れないが、アルビオンのことはアルビオンに任せるのが一番だ。
 その上で、リシャールの望む未来に幾らかでも近いなら。
 それ以上は、望むまい。

 二刻にも及ぶ時間、リシャールとジェームズ王はそれについて話し合った。
 直截な表現で交わされた歯に絹着せぬやりとりは、ウェールズにさえ聞かせられぬ内容である。半年前なら『リシャール王はハヴィランド宮の門前にてさらし首』と言われていただろう。
「恥を棚上げするようですが、どれほど失礼なことを申し上げているかは、十分に存じております」
「いや、リシャール王のお心、しかと受け取った。
 どうせ奴らにくれてやるものならば、少しでも未来のために使うがよいの。
 それにだ。
 息子の生に望みを繋ぐ可能性を示してくれたのじゃ、一人の父親としては感謝してもしきれぬ……」
 リシャールの提案はジェームズ王によって少しならず修正を余儀なくされ、ジェームズ王の主張はリシャールの反駁と説得によって僅かに曲げられた。
 策とも言えぬ思いつきは水やりもせずに種を蒔くようなものだが、大樹に育つ可能性もある。どうせ何も出来ぬと最初から諦めるよりは、雨が降る可能性や鳥獣に食われぬ幸運を期待する方が、遙かにいいだろう。
 その点だけは、二人とも一致していたが……如何にリシャールと言えども、数十年を大国の王として過ごしてきたジェームズの前では見かけ通りの子供と大して変わらない。大筋で提案を認めさせただけでも、大したものだと思うより他はなかった。
「しかし……これでまた、セルフィーユに借りが出来てしまうかの?」
「うちも大分借りていますから、お互い様かと」
「そうかのう……?」
「では、足りぬ分はこちらでお支払い戴きましょうか」
「ふむ?」
 リシャールは懐から小銭を取り出し、そのうちの一枚をジェームズ王に手渡した。
「ほう、一ドニエじゃな」
「はい、私の肖像が刻まれております。
 そのうち……いいえ、大変な失礼を申し上げるところでありました」
「よい。
 朕の死後、戦を経て旧に復した後アルビオンの新王ウェールズ『陛下』の肖像の刻まれた貨幣で支払って貰うと、はっきり申せ。
 ……先ほどの方が余程酷い物言いであったろうに、今更に過ぎるわ。
 ふん、レストン以上の毒舌とは思わなんだぞ」
 ジェームズ王は気分を害した風もなく笑い飛ばして銅貨の裏表を眺め、内懐へとそれをしまい込んだ。
「リシャール王よ」
「はい」
「……この銅貨、約束の証として借りておく。
 この一ドニエも含めて、足りぬ分は『将来』遠慮なく取り立ててくれて構わぬからな」
「承りました」
「それにしても……む?
 ああ、戻ってきよったか」
 老王の言葉に我に返り、その視線に振り返れば、東屋に向けて歩いてくる人物が目に入った。
 ぼさぼさの黒髪に赤いバンダナを無造作に結びつけ、目には眼帯、頬には無精ひげ、汚れたシャツに派手な上っ張りと絵に描いたような賊だが、控えていたパリー卿が丁寧に頭を下げている。
 いや、国王同士の茶会に堂々と入って来るのだから、賊どころか偵察任務か何かで外に出て身分を偽っていた高位の貴族かもしれないと、リシャールも小さく会釈した。
 そんなリシャールの内心には一切関わりないといった風に、眼帯男はにやりと笑いテーブルの手前で律儀に跪く。
「ご歓談中のところ、失礼いたします」
「あ……!?」
 しかし声を聞けば、その眼帯男が誰であるのかはリシャールにもすぐに解った。ジェームズ王の態度にも納得が行く。
「うむ、どうであったか?」
「スループ一隻を撃破、商船一隻を略奪。『イーグル』に欠員無し。
 やはりダータルネス方面は手薄でございました」
「うむ、嫌がらせとしては上出来であろう。
 ご苦労であった」
「ありがとうございます。
 ご挨拶が遅れました、リシャール陛下には遠路ようこそ。
 ……ふふ、驚いたよリシャール。
 まさかもう一度訪ねてくれるとはな」
 ふふんと得意げな表情で、眼帯男はリシャールに笑顔を向けた。
「こっちこそ驚いたよ。
 いつから空賊に転職したんだい、ウェールズ?」
 士官候補生の振りをしてここまで来た自分には……あまり人のことを言えたものではないのだろうが、皇太子殿下が空賊に扮するのは少々やりすぎだと思えた。




←PREV INDEX NEXT→