藤原妹紅は友人である慧音と一緒に神社の石段を登っていた。
幻想郷では現在春が本番を迎えていた。凍っていた土は溶け、野山には新しい命が芽吹いている。
そんな今日、恒例となっていた博麗神社のお花見大会に半ば強引に出席させられることになった妹紅は、慧音一緒に神社へと赴く事になった。
「しかしさぁ、ここの階段ってなんでこんなに長いわけ? 参拝客が来ないって嘆くならまずこの石段からなんとかした方がいいと思うんだけど」
あまりに長い階段にいい加減嫌気がさしてきた妹紅はそんなことを言う。
事実二人はもうすでにかなりの段数を登っているはずなのに、まだ鳥居すら見えない所にいた。
「まぁまぁ。ここもかなり由緒ある神社だから。春の陽気を楽しめると思えば、ね?」
そう言って妹紅を嗜める慧音だったが、彼女も同意見らしく苦笑いを浮かべている。
飛んで行けば早いのだろうけど、それも風情がないから歩いて行こうと二人で同意したのはつい一時間ほど前の出来事だった。
「そういえば今日は新顔がいるんだよね? 確か命蓮寺、だっけ。慧音は何か知ってる?」
「実は私も一度しか会った事がないんですよ。なんでも聖さんって方は何でも元人間の僧侶みたいですけど。妖怪も人間も平等に扱う人だとか」
「へぇ、僧侶ね。でも封印されてたんでしょ? よくわかんないな」
命蓮寺は春先に新しく幻想郷に建てられた新勢力の寺で、例のごとく異変騒ぎとして霊夢と魔理沙が絡んでいる。今日の花見は彼らにとって幻想郷社交デビューの日でもあった。
「まぁ会って話してみればわかりますよ。ところで妹紅。あの件、考えてくれました?」
「あの件? ――ってわかってるよ。そんな睨まないでよ。ちゃんと考えてるって」
あの件――とは今度人里で行われるお花見の事だった。今日の博麗神社主催の花見は人間妖怪妖精が入り乱れるものだが、件のものは人間主催の人間メインで行われるものだった。
「もう。人見知りなのはわかるけど、たまには顔出して下さいよ。皆、首を長くして待っているんだから」
「ひ、人見知りって……。う〜ん、でもさ。苦手なんだよね。普通の人の輪ってのはさ」
妹紅は人間が苦手だった。妹紅自身も人間なのだが、彼女は不老不死の体を持っている。だからあまり普通の人間にいい見方をされなかった過去があった。一番悲惨な経験では退治されかけたこともある。
普段は竹林に迷った人を案内したり、妖怪から護ったりする事から嫌っている訳ではなかったが、自分から話しかけたりするこはなかった。
「やっぱり気が進まないな。それにほら、私って口下手だから」
「霊夢や魔理沙とは普通にやりあっているのに。あれで口下手ななんて言わせません」
――あぁ、しまった。慧音お小言タイムだ。これ始まると長いんだよねぇ。
慧音は人里で私塾を開いている職柄、お小言が多いと妹紅は常々思っていた。でも実際はそのお小言を言ってくれる慧音も悪くはないと思っていた。
「ああ! もう鳥居はすぐそこダー。走っていこう!」
しかし今回はそんな手を使ってお小言タイムを回避する事にした。
「あっ、ちょっと待って。もこー」
博麗神社境内。
「やぁやぁ、妹紅に慧音じゃないか。待ってたぜ〜」
そこに着くなりいきなりヘベレケ声で話しかけてくる酔っ払いが一人。開始時間にはまだ余裕があったはずである。
「ちょ、酒くさっ! なんだよ、もう始めてたの?」
「いやいや、これはまだ始まっているうちにはいらないぜ」
妹紅の肩に絡みついてくるのは白黒魔法使いこと、霧雨魔理沙だった。足取りはふらついていて、何より赤らめた顔とその手に持った一升瓶がとても白々しい。
よく見ると神社の境内にはもうほとんどの面子が揃っていて、わいわいガヤガヤと賑やかになっている。
「皆早いな。誰が一番早かったんだ?」
「そりゃ私だぜ! と言いたいけど、試合に勝って勝負に負けた気持ちだなぁ。私なんて昨日から泊り込みで来てたのに、朝起きたら亡霊組みが桜の下にいてさ」
「それは気が早いにも程がある」
慧音が呆れたように苦笑いをする。しかしこれがいつもの風景だった。幻想郷に住む者彼女たちにとって一番大切にしている時間が宴会だった。そこに桜が咲けば、七夕になれば、暑ければ、コタツが恋しくなれば、――つまり何でも良かった。
彼女たちは実力主義だ。そこには妖力腕力があるが、もちろん酒の強さも含まれていた。そして彼女たちが集まれば往々にして飲み比べが始まるのも、いつもの平和な風景だった。
「お、来たわね」
今回の花見、もとい宴会の主催。麗しの巫女こと博麗霊夢。いつの間にか三人の前に立っていた。日差しのような容姿から発せられる透明なようで、それでいて力強い、そんな印象があった。
「遅かったじゃない。あんたらで最後。もう皆集まってるわよ?」
霊夢はクイっと親指で背後を指差した。どうやら早く来いという合図のようだった。
「いや、他の連中が早すぎなんだって。私たちはこれでも開始時間に余裕もって来てたつもりなんだけどな」
「まぁね。準備する側としてはせっつかれるのは癪だけど、やっぱり皆新顔が早く見たかったみたいよ?」
幻想郷の平和は一定周期の異変騒動とその解決によってバランスを保っていた。彼女たちはこうして仲良くお酒の席についてはいるものの、皆一度は戦ったことのある間柄だ。
そこに新たな勢力が加わったのだから、その力量や人物像を見ておきたいという気持ちはやはり皆が持っているようだった。
「まぁ、全員揃ってるんだから早く始めるわよ。と言っても、もう飲んでるやつも、い る け ど ね!」
そう言って霊夢は魔理沙をジト目で睨みつける。おそらく準備の手伝いもせずにさっさと始めてしまったのだろう。当の魔理沙は知らん顔で上機嫌だった。
妹紅と慧音の二人は、霊夢魔理沙について花見会場として用意された大きな御座の上に適当な場所を陣取って着席した。
周囲には吸血鬼一派、亡霊組、鬼、神様ご一行などそうそうたる顔ぶれだった。ここに幻想郷の力が集結しているといってもいい。もちろんその中には宇宙人一家も含まれている。今日は珍しく姫も出席しているようだった。
妹紅はチラっと宿敵輝夜に視線を向けると、蓬莱山輝夜は上品な動きでもって口元に手をあてて「プスッ」っと聞こえてくるような仕草をしていた。
――あ、あいつぅ……後で酒樽ごと口の中に入れてやるからなぁ〜
妹紅がそんな事を考えていると、主催の霊夢がパンパンと手を叩き、皆の意識を集める。
「はい、それじゃ始めるわよ。その前に皆お待ちかねの新顔の紹介からね」
――ヤイノヤイノ――
「おーい、いいわよ。さっさとやっちゃって……って何やってんの?」
妹紅は霊夢がいぶかしげな顔を向けている方に視線を送った。するとどうやら奥の方でもめているらしい。
「やーだぁー! 私はレアキャラだって言ってんじゃんか! 簡単に人前に出すとかありえないって!」
「もう、いい加減にあきらなっての! あんたも列記とした命蓮寺の一員になったんだから!」
もめている原因はどうやら、一人が人前に出たくないとごねている事らしかった。
しかし、妹紅はそれを呆れるでも冷笑するでもなく、愕然と見つめていた。
何故なら妹紅は、今もめている件の彼女のことを知っていたから。彼女を見つめるその顔は青ざめて、どこか畏怖や警戒が見え隠れしている。
つなぎ目のない真っ黒い服、肩くらいまである艶やかな髪、ぶらっと遊ばせている足、三叉に分かれた槍。それは羽なんだろうか、刃物のようで蛇のようで、不気味な形をした何かが背中についている。
そんな妹紅と彼女との、千年ぶりの再会だった。