ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第四十九話「半歩先の奇策」




 大慌てながら軍葬を終えて数日、セルフィーユはようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
 アリアンス廃城もフネの受け入れ設備だけは何とか調っていたので、風石機関の調子を見ながら各艦をそちらに移し、一部は修理に手が着けられ始めている。もっとも、風石機関の部品はおろかセルフィーユの備蓄では船体材さえも不足と見積もられており、船匠も足りないとあって目処は全く立っていない。
 同時に生き残った将兵らの生活基盤も調えなくてはならず、既に商船二隻をそれぞれトリスタニアとゲルマニアのヴィンドボナに送っていた。トリスタニアでは廃城の兵舎で彼らが使う寝具や生活用品などを買い付け、ヴィンドボナ行きの方も買い付け任務はあるが、ツェルプストー辺境伯に宛てた戦列艦用の風石機関を手に入れたいと依頼する一筆を持たせている。
 リシャールも暇を見てはエルバートと会い、あれこれと相談を重ねていた。
「四百名の将兵、四隻のフネ。
 これでは何のしようもありませんな……」
「それでも四隻合わせれば、我が空海軍に倍する火力です。
 今はともかく兵を休めましょう」
 一通りの手配が終われば、エルバートに毎月の予算を示すだけで一般の業務は回せる予定であった。無論、まだ修理も始まっていないが、こちらに来た四隻からは青いアルビオン軍旗が下ろされ、白地に緑葉のあしらわれたセルフィーユ軍旗が掲げられている。

『貴族派に正面切って口実を与えたくはないので、諸君らは一時的にセルフィーユ空海軍の所属となる。
 アルビオン空軍旗は、ブレッティンガム男爵が然るべき時が来るまで内密に保管する』

 組織を急に解体すると混乱を引き起こすことが確実であったから、旧アルビオン将兵は生存者中でもっとも軍歴が長く階級も高かった補給艦『アナステシアス』の艦長を臨時の艦隊司令官としたが、老齢の上に療養が長引くとみられたために『ウォースパイト』のヘイスティングス海尉が実際の指揮を執っていた。
 しばらくは休養と生活基盤の確立、その後は再編と各艦の修理。
 そこから先はレコン・キスタ次第だが、五年も十年も雌伏することはなかろうと、リシャールも大半の将兵も考えていた。
「スカボローの様子はともかく、ニューカッスルの情報がどうなっているのか知れれば、もう少し動きようもあるのですが……」
「ですな。
 旗艦艦列を組んでいた陛下並びに殿下座乗の『イーグル』と、運が良ければもう一隻、追随していた『イプスウィッチ』のみが脱出できたとしても、他は望み薄と言わざるを得ません。
 スカボロー陥落より一週間、落ち延びたとしてセルフィーユは無理でもラ・ロシェールくらいには辿り着いていなければ、敵の手に落ちたか、墜落して海の藻屑と消えたかというところでありましょうから」
「ヘイスティングス海尉より聞きましたが、そちらには貴顕の方々が多数同乗して居られたとか?」
 損傷著しい艦でセルフィーユに来たのは、空軍将兵を除けば極僅かな陸兵のみである。彼らはジェームズ王とウェールズ皇太子を逃がし、アルビオン王国の寿命をすこしでも伸ばそうと、甲板上で水兵に混じって無いよりはましのマスケット銃を甲板で撃っていたそうだ。
「はい。
 軍人はともかく、血路を切り開く為に敵艦列へと突っ込んで行く戦列艦や、盾となる為だけに追随した中小のフネに、ご婦人方を乗せるわけには行かなかったのでしょう」
「……」
「それに、国外に頼る親族のいた者は既に脱出しております」
 セルフィーユに王党派貴族が落ち延びてこないのは、それこそ創家半年やそこらの貴族層に、縁戚や親しい友人がいるはずもないという新興国ならではの事情による。セルフィーユ家でさえ僅か四年目、リシャールもラ・クラルテ家にアルビオン貴族の親戚がいるなどとは聞いたこともないし、居たとしても本家にあたるエルランジェ家やカトレアの実家ラ・ヴァリエール家の方がまだしも頼りやすいだろう。
 今も残る王党派貴族は家族を含めても二百名足らずだと言うが、どちらにせよ、彼らはジェームズ王に従ってニューカッスルへと向かい、最後まで戦う決意を示していた。
「エルバート殿を頼って、セルフィーユに誰かが来られたりは?」
「さて……。
 姉の嫁ぎ先であった子爵はレコン・キスタについておりますし、そちらに靡いた者の方が多いので、私からは何とも言えませんな」
 口調こそさっぱりとしていたがなんとも返答に困るエルバートの言葉に、リシャールは溜息をついた。

 同日夕刻に『カドー・ジェネルー』経由でトリステインからもたらされた情報は、リシャールの把握している情報とほぼ同様の物だった。いや、確認が取れたというべきか。
 シャミナード艦長に加えてトリステイン本国の外交官吏を連れたモントルイユ大使より、いつものやりとりとは別の書類束を渡される。表紙の題字を確かめれば、大陸諸国の動向についてまとめてあるようだ。
「貴族派の発表を見る限りスカボローは陥落、但しアルビオン国王陛下並びに皇太子殿下は無事ニューカッスルへと落ち延びられたようであります」
「ええ、脱出してきた乗員らより報告を受けています。
 フリゲートのみで旗艦艦列を組ませ、戦列艦は包囲網に穴を開ける楔に、その他の艦は楯として使う作戦であったと……」
「ふむ、まことに忠義でありますな」
 トリステインからはアルビオン同盟国の看板は事実上降ろされていたが、中立国として一時的な受け入れは許可した様子で、苦しい部分が見え隠れしている。
 既にレコン・キスタは堂々たる態度で自らを一国として認めている様子で、水面下では外交的な接触も始まっていると、マザリーニからの手紙には記されていた。
「レコン・キスタはアルビオン王家滅亡後に建国を宣言し、『神聖アルビオン共和国』と名を変えるそうです」
「神聖アルビオン共和国……」
 もうそこまで話が進んでいるのかと、リシャールは暗い表情でその名を繰り返した。
「ですが、アルビオン王家の滅亡は時間の問題とは言え、空中大陸の全てに統治が行き届くにはしばらく時間が掛かりましょう。
 名ばかりの国……とまでは申しませんが、復興が成ったとて往事よりは弱体化しているものと我が王政府は見ています」
 だが今はスカボローどころか王都ロンディニウムの掌握も始まったばかり、王党派は規模が縮小しているし反撃さえいよいよ厳しく成りつつあったがアルビオン王家もまだ滅んではおらず、スカボローは陥ちたがニューカッスルにてその旗を掲げている。
「セルフィーユも少々手詰まりになりつつあります。
 アンリエッタ殿下とマザリーニ猊下には、何卒よしなにお伝え下さい」
「はい、畏まりました」
 退出する三人を見送り、そっと溜息をつく。
 ……報告を受けては溜息をつき、状況を分析しては溜息をつくの繰り返しだった。どこもかしこも溜息だらけでそろそろ吐く息も尽きそうだというのに、未だ底が見えてこないのも困りものである。
 しかし、たった一つだけ救いもあった。
 最後の詰めまでは、まだ半歩残しているのだ。

 茶杯を片付けに来たジネットにもう一杯を頼み、リシャールは椅子にもたれ掛かった。
 原点に立ち返って、もう一度状況を俯瞰してみようと考えたのだ。
 この戦、落としどころはいったいどのあたりなのかと自問自答すれば、各国連合軍によるレコン・キスタの敗北を如何に上手く引き出すかが焦点である。
 しかし現在のところ大国は様子見に徹しており、トリステインも世論を抑えつつ時期の見極めをしていた。矢面に立つと分かってはいても、国に体力がないので動員して待ちかまえる策は下策となる。報告書にもあるが、その他の国にしてみればレコン・キスタ改め神聖アルビオンとトリステインが争って双方力を落とした後にゆっくりと事態の収拾を図る方が、被害も少なく随分と安上がりなのだ。
 セルフィーユはその状況下、本来ならば出しゃばった行動は慎むべきであった。
 数万の軍勢が、あるいは数百の軍艦が入り乱れるような戦争であれば、大国の旗の下、警備か輸送でも引き受けていればいい。戦果の主張も出来ないが、国力比に応じた軍勢が供出されていれば元より相手にされることもない。小国なりの面目を保ち、主力たる大国の面子を立てている限りは文句は出ないのが通例だった。無論、何らかの悪意の元捨て駒にされるようなこともあるだろうが、その場合には名誉と矜持の旗の下で諦めて死ぬか、後のことは後のことと全てを投げ出して生き延びるぐらいしか方法がない。
 だがいつかの御前会議でリシャール自身が示したように、それでは少々足りないのである。現在のアルビオン問題とは無関係な新教徒問題に於けるロマリアの圧力は切り離すにしても、それ以外の部分では積極的に介入せざるを得ない。
 では何を為すべきかと言えば、いや、何が為せるかと言えば、ごくごく限られた内容に留まってしまう。それこそレコン・キスタへの嫌がらせが精々で、『予定の筋書き』に近い各国の動向を大きく変えるほどの力はセルフィーユにはなかった。
 マザリーニから聞いてはいるが……おそらくは空中大陸平定後、数年内にレコン・キスタがトリステインに攻撃を仕掛けることはリシャールにも見えていた。しかしその戦いの序盤、どれほど上手く事を運んでも援軍は届かない。援軍を引き出せるかどうかとは別に、セルフィーユの様な小国が演習目的でトリステインの胸を借りるなら面目も立つが、費用の他に矜持の面でも他の大国の軍を常駐させるわけには行かなかった。トリステインはどちらにしても最初の一戦は優勢な敵に対して受け身に回り、国土は荒れてしまうだろう。その後戦況が落ち着くか、相当に押し込まれて初めて、本物の援軍が動き始める。その後は力任せというよりは、レコン・キスタの領土となった他国の地を切り取る為に、反撃と言う名の陣取り合戦が始まるのだ。
 ……これら大国が予定する筋書きをどう都合良く書き換えられるものか、リシャールにも正直なところ見当がつかない。
 ウェールズはリシャールを知恵者と評したが、蓋を開けてみればこの程度であることは、当の本人が一番よく分かっている。
 強いて言えば、戦中よりも戦後の復興の方が幾らかでも力になれるだろう。預かっている王党派残党を軸にした空軍の再建、ないよりはましの貿易による支援、あるいは運が良ければ呼ばれるであろうアルビオンの今後とやらを話しあう『諸国会議』でのトリステインとの同調……。そして、おそらくはアンリエッタの産んだ次男以下の誰かが初代となる、新たなアルビオン王家への支援。
 このあたりが限度であろうし、ウェールズがどこまでリシャールに期待しているのかは別にして、世界をひっくり返せるほどセルフィーユは大きくなかった。
 いっそ当人に聞ければ一番いいのだが、少々遠い上に障害も立ちはだかっている。レコン・キスタは再編中だが、ニューカッスルに艦隊を差し向けて包囲することは容易いはずだ。
「ニューカッスルと言えば、秘密港はどうなっているんだろう……?」
 ふとこちら側の予定を思い出す。脱出組の到着で有耶無耶になっていたが、予定では一昨日あたりにラ・ラメーがアルビオンへと向かう予定だった。
 当初は『サルセル』を使い、風石の消費を抑えて距離と積み荷を稼ぐ算段を立てていた。しかし、多少なりとも優速で、アルビオン製でアルビオン艦と誤認されやすい『ドラゴン・デュ・テーレ』を使った方が安全であろうと、結局いつも通りの編成に落ち着いたと聞いている。航路の方も、ラ・ロシェールには寄港するが夜のうちに出航し例の海図を利用して大陸の影へと入ってしまえば良いと、積み荷の選定までは済ませていた。
「……ほんとに当人に聞きに行くかな?」
 それこそ状況に流され続けてきた自分だが、自ら動くことで奇策に繋がりそうな気もするのだ。せめて手紙か何かでやり取り出来ないかとも思いかけたが、『ドラゴン・デュ・テーレ』を二往復させるだけの時間的余裕は、あるのかないのか微妙であった。
 それに……二度と会えないかも知れないと考えれば、今この時に動くことは自分の人生に於いて非常に重要な意味があるような気もする。
 セルフィーユを守るための一手でありながら、アルビオンへの助力ともなるならば言い訳も立つだろうか。
 王になってしまった自分を『友』と呼んでくれるような誰かは、今後そうは現れまい。政治や国が絡んではいても、彼はリシャールにとって貴重な友人なのだ。
 ……大体国民ともどもここまで巻き込まれているのだ、ちょっとぐらい驚かせてやってもいいではないかと思わなくもない。
 リシャールはよいしょと立ち上がり、かたくなっていた肩を回して身体をほぐした。

 無論、思い立ったが吉日、今からアルビオンへ行こう……とするには問題もある。
 ブルーノ書記官にちょっと出掛けるからと言い残してリシャールが向かった先は、ラマディエ郊外の空港であった。
「きゅいー」
「うん、ありがとうアーシャ」
 先日の騒ぎもあって桟橋の拡張を行いたいところであったが、とりあえず目先の利便とばかりに将来の倉庫建設予定地を潰し、アルビオンの練兵場に作ったのと同じような簡易船台を二つほど用意していた。いらなくなれば潰せばいいし、アルビオン艦をアリアンス廃城に移送した今は使われていない。
「陛下!?
 ッ敬礼!」
「ご苦労様。
 ラ・ラメー艦長は『ドラゴン・デュ・テーレ』ですか? それとも司令部に?」
「はっ、現在は司令部であります」
 勝手知ったる司令部だが、そのまま案内を付けられて長官公室へと向かう。
 執務中であるのは間違いなかったが、ラ・ラメーは机一杯に書類を広げて見比べていた。ちらりと見れば考課表のようで、水兵らの配置や昇進についてあれこれ評価していたらしい。
「お呼び下さればこちらから伺いましたものを。
 どうかなさいましたか?」
「ちょっと相談ごとです。
 ……書類仕事に飽きたせいでもありますが」
「ふむ、これは先を越されましたな。
 小官も少々飽いていたところであります」
 茶杯を運んできたジュリアンに命じて人払いを行い、リシャールは正面から切り出した。
「艦長、『ドラゴン・デュ・テーレ』でも『サルセル』でも構いませんが、現在の状況下でニューカッスルと往復したとして、無事に往復出来る確率はどのあたりと見積もります?
 無論、戦に絶対はありませんから、艦長の思うところで構いません」
 僅かに思案したラ・ラメーは、茶杯をあおってからにやりと笑った。
「そうですな……。
 正味な話、七割よりは高いと思っております」
「七割!?」
 これはまた、えらく高い数字である。
 無理はせぬ方がましですと言われるのではないかと思っていたが、そうではないらしい。つくづく頼りになる御仁だ。
「包囲と言ったところでレコン・キスタの全艦が集まっているはずもなし、夜の闇と、ついでに昼間は大陸の足下にたなびく雲を使ってやり過ごせば、そう難しくはないと考えております。
 何せ目的地の秘密港は空中大陸の下、ニューカッスルの城の直下ではありますが、通常の航路とはかなり外れております。大陸の陰に入ってしまえばそれこそ海図なしでは座礁必至、行きよりも帰りに偶発的な遭遇戦が発生する方があり得そうですが……まあ、似たようなものでしょう。
 ついでに荷を減らして風石を余計に詰み、ラ・ロシェールへの寄港を考えなければもう少し確率を上げられると思います。手間を考えると微々たるものですが、まあこれは後でもいいでしょう。
 ……無論、例の海図があればこそ、あの情報なしに余所者……あるいは貴族派がニューカッスルの秘密港に潜り込むなど不可能だと判断してのことであります」
 なるほど、根拠のない数字ではないわけだ。
 これならなんとかなるかと、リシャールはラ・ラメーを見やった。
「……行けますか?」
「はっ、ご命令とあらば、いつでも。
 乗員こそアリアンスの整備に取られておりますが、『ドラゴン・デュ・テーレ』も整備だけは終えております」
「では出航は……そうですね、明後日でも大丈夫ですか?
 時間の方は艦長にお任せします」
「了解であります」
 リシャールは笑みを浮かべ、ラ・ラメーも満足そうに頷いて見せた。
「それから……」
「はい?」
「厨房あたりに私とよく似た水兵が紛れ込んでいるかも知れませんが、しばらくは知らないふりでもして貰えると助かります」
「は!?」
 『ドラゴン・デュ・テーレ』が無事戻れるなら、自分が乗っているからとその確率はは変動するまい。
「ああ、杖持ちなら候補生の方がいいのかな……?」
 ラ・ラメーが呆れ顔を向けてきたが、これは大前提なのである。
「……陛下、本気ですか?」
「ええ、もちろん。
 どうにも手詰まりでろくでもない未来絵図しか思い浮かばないなら、当事者に直接聞いた方が幾らかましだなと考えたんですよ。
 艦長が二割三割と口にされていたなら、出航そのものを取りやめにしましたけどね」
 ではよろしく頼みますと、リシャールは空海軍所属の候補生『ルイ・ド・ラ・ファーベル』についてその場で書類を作り上げ、推薦者の名に自著を記すとまだまだ何やら言いたげなラ・ラメーに押しつけた。
 あとは不在の言い訳を用意してフレンツヒェンに事情を説明し、カトレアを説得する勇気があれば旅行の準備は出来上がりである。

 何を為すべきか。何が為せるか。
 安易に口に出来るものではないが、状況が分かれば多少なりとも何か思い浮かぶかも知れない。ウェールズやジェームズ王の顔を直に見たい、話がしたいという、個人的な希望も叶う。
 安全の度合いで言えば再編中と見られる今が一番警戒も手薄、時が経つにつれ包囲の輪が強固になることは、攻城戦に詳しくないリシャールにも想像がついた。
 皆には心労をかけるだろうし、あまりまともな判断ではないなと自覚もしている。
 だが、このまま流されても大筋が変わらないなら、セルフィーユを取り巻く状況にも大して変化はない。もしもリシャールがレコン・キスタに捕らえられでもすれば酷いことになるかもしれないが、それでもマリーが即位してカトレアか義父が摂政に立てば、国は動くし大事な大事な家族の安全度も変化はない……。
 いや、そこまでの心配をするなら行かなければいいのだが、それでは元の木阿弥で、事態の好転には繋がらなかった。

 それに。
 滅亡近い王党派最後の砦まで、国王が自ら足を運ぶとは誰も思うまい。




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